2011年5月4日水曜日

三島由紀夫の国家観


三島由紀夫氏の「若きサムライのために」(1996年/文春文庫)の中で、三島氏は国体について次のとおり語る。
『・・・つまり「日本民族を守れ」「日本国土を守れ」といふのは、ちよつとあぶないんぢやないか。といふのは、共産党だつて日本民族には違ひない。・・・体制を守れといふところに確信を持たなければ、これからの国土防衛の問題でもなんでもあぶないぢやないか。「ぢや、体制つて何ですか」「自由主義、民主主義」「それぢやだめだ」と僕は言つたんだ。日本人は絶対、民主主義のために死なん。・・・
 そこで出てくるのは、やつぱり国体の問題と天皇の問題ですよ。どうしても最終的に守るものは何かといふと、天皇の問題。それでもまだあぶない。カンボジアみたいに王制でだね、共産主義といふ国もあるんだからね。いまの共産党は、「天皇制打倒」を引つ込めてから十年以上たつが、ひよつとすると天皇制下の共産主義を考えてゐるんぢやないかと思ふ。これでもまだまだだめだ。天皇を守つてゐてもまだあぶない。
 さうすると何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思ふんだ。本質的な問題は。』
この発言は、昭和42(1967)年のものである。1970年の自決を経て40年超、氏の国家観は今もなお輝く。

2011年5月2日月曜日

エンジニア・研究者の良心

仕事柄、エンジニア・研究者と仕事をする。彼らの技術や論理への誠実さにはいつも敬服するばかりだ。このような「技術者の良心」は、日本人の民族的特性によく合っている。

TVで政治家のブレる発言ばかりを見聞きすると辟易とするが、絶望する必要はない。何故なら、戦後に築かれた日本の成功と名声は、良くも悪くも、このような名も無き技術者によるものだからだ。
これに、良質な政治を付加することで、真の「科学技術立国」として日本の再生は可能だと信じる。
 
そして、科学技術の重視は、上述のような「良心」を涵養することにもなり、人づくり・国づくりにもなると考える。