2011年6月26日日曜日

形式とは平凡人のためにある(ナポレオン)

ナポレオンは、天才とは「おのが世紀を照らすために燃えるべく運命づけられた流星である」とし、そのあり方について、こう言った。
「天才が形式の下におめおめおしつぶされると思うのは、天才の歩みによほど縁のない人の考えである。形式は平凡人のためにつくられたものなのだ。平凡人が規則の枠内でしか動けないというのはそれでよろしい。有能の士はどんな足枷をはめられていようとも飛躍する(大塚幸男訳)」(三好徹 著「高杉晋作」(人物文庫/学陽書房)あとがきより)


私が結婚する際に尊敬する上司から贈られた言葉を思い出す。
「出る杭は打たれる。出過ぎる杭は打たれない」


世の中には、ルールや規則(形式)を作り、それらを守らせることを生業にする行政組織/会社の管理部門があるが、社会の創造期/変革期には、そのような枠を超えて活躍する人物(天才)が必要とされる。


西郷隆盛もこう言った。
「どんなに方法や制度のことを論じようとも、それを動かす人がいなければ駄目である。まず人物、次が手段のはたらきである。人物こそ第一の宝であり、我々はみな人物になるよう心がけなくてはならない。」(内村鑑三 著/鈴木範久 訳「代表的日本人」(岩波文庫)より)

制度(形式)の前に、それを操る人物(天才)を育てなければならない。
現行の憲法を改正できず、形式論や解釈論に汲々とする我らが日本国民は、形式に埋もれた平凡人に成り下がったのか。

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